「がしゃどくろ」の生みの親!昭和のオカルトブームを築き上げた斎藤守弘氏の業績を振り返る

   

サイエンス・ライターからオカルトブームの元祖へ!?

斎藤氏が公言していた商業デビューは昭和36年の科学読売である。だがそれ以前にも商業雑誌に寄稿していた形跡があり、バンビブックなどは何度か執筆している。

また、少年サンデー等にも「消えたエスキモー」という記事が掲載されており、これも氏の手によるものと推測されている。

当時は日本のオカルトの創生期であり、UFO研究家の荒井欣一氏が「空飛ぶ円盤研究会」を結成して大きな話題をさらった。同会には三島由紀夫氏や星新一氏も入会しており、斎藤氏も研究会発足の朝日新聞の記事を見て加入している。

その後同会のメンバーであった柴野拓美氏、星新一氏と共に同人誌「宇宙塵」を創刊している。昭和30年台の末期には少年マガジンなどで超科学記事の執筆をはじめるが、人気が爆発し人気投票ではあしたのジョーや巨人の星を追い抜くほどであった。

この当時斎藤氏はライターには珍しく、イラストレーターが描く絵にもラフで指定を出すなど、細かいサゼッションをしていた。当時の人気記事は「ナメクジが空を飛ぶ」「怪物は今も生きている」などが人気記事であった。これらのオカルト記事の元ネタは、神田の洋書専門店で「Argosy(アーゴシー)」などを入手し、そのバックナンバーからオカルト記事を翻訳していたという。

これらのアメリカの雑誌は、数々のネタを斎藤氏に提供していた。中でも一番の人気キャラクターは、「スクリュー尾のガー助」だ。

一部の本では「スクリューのガー助」となっているが、あくまで「スクリュー尾」が正しい。というのは、斎藤氏が翻訳をした時、「screw tail」と記載されていたからだ。「ガー助」という言葉はこのUMAのアヒルに似た容貌から連想した斎藤氏のオリジナルと思いきや、当時の元ネタにした記事にも何やらニックネームがあったらしい。興味深いことに、このスクリュー尾のガー助は宇宙塵に参加していた小松左京先生が大いに気に入ったという。

その当時、同じようなサブカルライターとして大伴昌司氏がいた。大伴昌司氏とのランキング争いでは、常に斎藤氏の記事が勝っていたとされているが、不仲ではなく、大伴昌司氏と斎藤氏、そして南山宏氏、後に大陸書房の社長となる人物との対談も行われている。

この4人の対談のあと、大陸書房の社長とタクシーで一緒になった斎藤氏は、自分のもとに死蔵している原稿があると喋り、それがきっかけで大陸書房に執筆をしていくことになる。

「新世界と不思議」というコンセプトで数多くの出版物を大陸書房から発売したが、大陸書房からは毎月一冊書いてくれと言われた程だった。当時は現在のような出版不況ではなく、初版が5万部、毎年増刷を重ねていくという好景気であった。原稿を渡すと翌月に出版物になり、印税もすぐ入金されたという。大陸書房の一連の著作は、海外でも話題になったらしく、ソ連から氏の著作を翻訳して発売したいという打診があった。

だが当時はソ連に対する嫌悪感が強く、共産主義者のレッテルを貼られることを恐れたため、斎藤氏の著作が海外に出ることは無かった。

実は「がしゃどくろ」も!斉藤氏が生み出した数々の妖怪

氏の執筆活動の妖怪におけるウェイトは少女フレンドで行われてきた。「疫病魔」「樹木子」「畑怨霊」「首かじり」などの妖怪は少女フレンド誌上で斎藤氏が創作したものである。樹木子などは水木しげる創作説が強かったが、実は斎藤氏の創作である。友人であった星新一氏の創作したキャラクター、ボッコちゃんから連想して生まれたのが妖怪樹木子だ。

畑怨霊は当時の少女フレンドに頭部がキャベツで首が長く伸びたろくろっ首のような姿で描かれているが、これは斎藤氏の指示によるものではなく、実際に畑の側で立っている幽霊を目撃したという人物の体験談から創作された妖怪だとされている。

「妖怪首かじり」は当時日本人学者がアイヌ人の墓地を荒らして人骨を調べてい る様子を揶揄して作った妖怪だ。幽霊が首をかじる構図を骨董商の世界で「首かじり」と呼ぶ事を知っていたものの、あくまで日本人によるアイヌの墓暴きを揶揄して創作した妖怪だという。
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氏が創作した妖怪の中で最も有名なものが「がしゃどくろ」だろう。ゲゲゲの鬼太郎においては、鬼太郎と激闘を繰り広げる強敵の妖怪だが、この妖怪も元々は斎藤氏の創作である。イギリスの古城に出る骸骨騎士にイメージをいただき創作したものらしく、鎧をつけた骸骨が歩くとガシャガシャ音がすることから「がしゃどくろ」というネーミングになったらしい。

がしゃどくろ

がしゃどくろ、がしゃ髑髏は日本の妖怪。戦死者や野垂れ死にした者など、埋葬されなかった死者達の骸骨や怨念が集まって巨大な骸骨の姿になったとされる。夜中にガチガチという音をたててさまよい歩き、生きている人を見つけると襲いかかり、握りつぶして食べると言われる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/がしゃどくろ

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※歌川国芳『相馬の古内裏』:がしゃどくろを描いたものでは無いが、巨大な髑髏である点から、がしゃどくろのイメージとして初期から使用されて来た

「妖怪さかさ男」も、佐藤有文氏や水木しげる氏の妖怪図鑑に採用されたが、元々は斎藤氏が江戸時代にある逆さまの幽霊から連想したものだ。「胃ぶらりん」も昭和の子どもにトラウマを与えた妖怪の一つだが、東南アジアの妖怪「アササボンサン」から生み出され名前だけ日本語に翻訳されたようである。

「ペナンガラン」との関連性を斎藤氏に確認したが、ペナンガランのことを斎藤氏はあまり詳しく知らなかった。どちらにしろ、胃ぶらりんの元ネタになったアササボンサンの詳しい情報が欲しいところだ。

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マレー半島などに伝わる妖怪ペナンガラン。Credit: Xavier Romero-Frias

また、内臓が全て逆さまに裏返っている「モズマ」という妖怪についても確認している。モツ料理のモツから考えられたのではないかと推測していたが、そうではなく、異次元の世界に知的生命体がいるとしたらこのような生物ではないかと思い、創作したらしい。

「コウモリ男爵」はドラキュラがコウモリになることから連想した可能性が高いが、本人は詳細は忘れてしまったと話している。今ではすっかり日本語になっている「取り替えっ子」も斎藤氏が妙訳したものらしい。このあたりも斎藤氏独特のユーモアのセンスが伺える。

取り替え子

ヨーロッパの伝承で、人間の子どもがひそかに連れ去られたとき、その子のかわりに置き去りにされるフェアリー・エルフ・トロールなどの子のことを指す。時には連れ去られた子どものことも指す。

https://ja.wikipedia.org/wiki/取り替え子

斎藤氏が後世に与えた影響とは

同時代を一緒に生きた中岡俊哉氏とはテレビの仕事で共演したことがあったらしいが、初めて会った時「私は悪い男です」と言って笑ったことがあったらしい。中岡氏がそう悪ぶってみせたのはいささか因縁がある。

少女フレンドで連載していた斎藤氏の仕事を中岡氏が奪ってしまったという事実があるようだ。斎藤氏がたまたま一日だけ関西に旅行に行ってしまった所、慌てた編集者が中岡氏に仕事を振ってしまったという。事実、当時の少女フレンドのオカルト記事連載は、斎藤氏の独占から中岡氏との交代での連載に変わっている。

斎藤氏は学研とも仲が良く、学研の原稿を取りに来た若者が後に佐藤有文と名乗って作家デビューをしている。佐藤有文氏は大学を中退し、学研でアルバイトをしていたらしく、原稿を取りに行く使い走りのような存在で、斎藤氏の自宅にも度々お邪魔していたようだ。斎藤氏は若き日の佐藤有文に元ネタの取り方等を教え、情報元の雑誌等を閲覧させた。これが後に売れっ子作家佐藤有文の誕生に繋がるのだ。

佐藤有文氏は斎藤氏のことを師匠と思っていたらしく、斎藤氏が使っていた前衛科学評論家という肩書を自らも名乗っていた。斎藤氏と佐藤有文氏の交流はその後も続き、佐藤有文氏の結婚式では斎藤氏がスピーチをしたほどであった。

水木しげる氏との遭遇は一度だけテレビでの企画で実現している。斎藤氏と会った水木氏は、斎藤氏の顔をしげしげと覗き込んだという―。

昭和のオカルトシーンを創りあげた斎藤氏はもういない。しかし、晩年の10年間私淑させていただいた筆者としては、この上もない貴重な時間であった。斎藤氏から受け継いだオカルト・エンターテイメント論をこれからも発達させていきたいと思う。

斎藤先生、ありがとう。


文: 山口敏太郎
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